「努力と我慢」と「無理をすること」の違い
連投になるけど自分の気持ちを整理しておく。
もう一つ書きたかったテーマがあります。
気づきみたいなものですが。
ここ最近休日はずっと一人で過ごしています。
誘う友達がいないとかじゃないです。誘ったら来てくれるけど自分が楽しめる自信がないから誘わないんです。まあそれが友達がいないってことなんでしょうけど今はそれが問題じゃありません。
少し自分の話になりますが、
最近、自分は今までずっと無理してきたんじゃないかなと思っています。
人は無理をする生き物です。夢のために努力したり、また同じように我慢したりするのが人間です。それを「無理をする」と言ったらネガテイブに聞こえてしまうかもしれません。
でも自分の努力や我慢はその名の通りのものでは無かった。無理をしていた。
今までずっと願ってきたもの、
主にコミュ力ですが、
そのための努力と我慢をしてきたけど今まったく身についてないのは「無理をしてきた」からだと思うんです。
別の話になりますが、
人は諦めるたり、挫折することで穏やかになったり、人に優しくなれると言います。「現実を受け入れる方が幸せになれる」と悟るんですかね。
ですので、努力と我慢は大事ですがそれだけで上手くいくならこの世人間はみんな大統領になります。諦めや挫折も大事なわけです。
それらが少しずつ交じっていくことで自分の足場のようなものが出来上がっていくのではないでしょうか、と最近こう思うようになっているわけですね。
そして自分の場合はそれがない。
諦めと挫折がほとんどない。
いや、実際はあるはずなんだけど、
直視しないようにしてる。
言い訳ばっかりしてる。
次は成功する、と問題を先延ばしにしたりして。
おかげで諦めや挫折を受け切らずに人生過ごせてきたわけです。
でもそれでは足場はぐらぐらです。
ぐらぐらのままでまだ「努力」と「我慢」を続けようとしている。
だからこれは「無理をしている」のではないかと思っているわけです。
冒頭に戻りますが
今までの友達はみんな優しいです。
自分が誘ったらきっと遊んでくれます。
話も率先して聞いてくれて、会話に困ったら向こうから話を振ってくれます。それも自然なん感じで恣意的な素振りを一切みせません。
でも自分はそんな友達を前にしても
努力と我慢を繰り返します。
それでしか関わり方を知らないからです。そして無理をするようになってしまいます。勝手な消耗です。でもそれでしか関わり方を知らないし、相手もそれが自分のデフォだと思っているので尚更です。変更する方がもっと無理をすることになるんです。
だから最近自分は、仕事関係以外ではなるべく人に会わないようになりました。
この辺りで無理をするのをやめてみようと思ったんです。それが自分をもっと孤立させるのか、それとも今まで変に入ってた力が抜けていくのかはわかりませんが、無意識的に人と会うのを避けるようになったんです。この三連休もずっとゲーム実況を見ていました。
そして、
やっと本題ですが、
人に会わないようになると
「欲」が減りました。
今まで人と付き合う上で、
「自分をこう見せたい」とか
「自慢したい、褒めて欲しい」とか
「こうはなりたくない、ダサい」とか
たぶんいろんな「欲」があって結果無理をすることになってたんだと思うんですね。
だから、「無理をすること」を改めれるようになったというよりは、
無理をする機会そもそもを失くしたんですね。
そうすると欲が無くなった。
なんだか今までにない感覚です。
ずっと人目を気にして生きたきたからかな。
ちなみに、人との関わりのへの欲がなくなると、
「仕事で結果を残したい」とか
「もっと趣味が上手くなりたい」とか
自分の根本的な欲も薄れてきました。
これは驚きました。
でもそれは
「何もしなくてもいい」
っていう
自己承認みたいなものに繋がっている気がします。
焦らなくていい、そのままあなたが好きよ
みたいな。
掛けなのない愛みたいなもの、幼少期に両親から受ける無常の愛みたいな感じですかね、SPIの性格検査で「自己肯定力がある」って欄に加点されるような。
僕はそこはいつも嘘ついて自信満々マンになっていたんですがたぶん面接でバレてましたね。
話はそれましたが、
少しでも自分を受け入れられた気がするわけです。
諦めや挫折を受け入れて、足場が少しだけでも固まった気がします。
たぶん、明日から仕事が再開して、人と関わっていく度にこの肯定感は無くなっていきます。
いつも無理をする自分に戻ります。
そんな簡単に人は変わらないですよね。悲観的になっているわけではなくて、本当にそう思います。また自分は無理をしてしまう。
でもこうやって日々を繰り返していくというか、生きていくことで、少しずつですが足場が固まるんだと思います。
一番怖いことはこうやってあれこれ悩まなくなることですね。
諦めも挫折も感じなくなる。
無理をすることに鈍感になる。
考えなくなる。
すると足場は脆いまま歳だけ重ねて
40で自分探しとか言ってる痛いやつなってしまう。
まじて人ごとじゃないから、
今のうちに悩んどかないとと思う。
むしろこの20代で終わらせてやるという気持ちで。
ほんまにいい年した大人が思春期みたいなこと言ってるのはツライ。
だから悩むことを嫌なことと思わんとこ。
終わります。ここまで読んでくれた方、ありがとうございました。
自分勝手マンの話
最近更新が滞ってしまっていたので
久しぶりに書いてみようかなと思いました。
このあいだ社内ニートを卒業して
晴れてバリバリのサラリーマン生活を迎えれようとしているのですが
どうも気持ちはもやもやしたままです。
もやもやの原因はいくつかあります。あくまで推測ですが
自分から振った元カノとやり直したくなってきたのがまず一つ。
元カノは自分のことが好きでいてくれてたのですが「好きじゃなくなった」と言って一方的に振りました。
彼女は振られる最後まで自分のことが好きだって言ってくれました。これからも好きでい続けるだろうとも言ってくれました。
でもその頃の自分は自分のことしか考えてなくて彼女の気持ちなんて何一つ気にしませんでした。最終的にSNSや電話番号などの連絡手段をすべてブロックしてバッサリ切ってしまいました。
そんなひどい振り方をしたにも関わらずまた会いたくなってしまった自分の薄情さに気づいてしまいました。
結局自分は人にひどいことしても最後は自分優先、自分勝手で自分都合主義な人間なんだと再確認しました。
いろいろ思いましたがとにかく、自分の嫌いなところが増えました。
でも人を好きになることについて少しだけわかった気がしました。彼女が僕に対して抱いた好意は、僕が彼女に対しては決して抱かなかったモノでした。それは毎日取捨選択を繰り返し、一日一日を自分らしく生きている人間でしか持てない感情でした。それだけしてる人じゃないと本気で他人を好きにはなれないはず、そう思わせるような好意を彼女は持ってくれていて、反対に僕はそこまで真意に迫った好意を持っていませんでした。他人からしたら「遊び」だというこですね。僕自身は幸せになりたかっただけなんですが。
だから、また気づきもありました。
他者との関わりには責任が伴い、そして、付き合うとか結婚とか家庭とか自分が求めるような幸せは、必ずに他者との関わりが不可欠であると。そこには相手の幸せもくっついて乗っていること。それを有耶無耶にすると不幸な人が生まれること。
当たり前ですけど身をもって知りました。
というふうに思うので、話は戻りますが、
不幸にしてしまった彼女に対して
もう一度やり直したいというこの気持ちはよく考えないといけないわけです。
「彼女への罪滅ぼし」という思いがあるなら、
きっとそれは失敗します。目に見えます。
「自分の失敗を無かったことしたい」
これもダメです。自分が楽になりたいだけで先はないです。
とにかく今がツライから連絡したくなってるだけな気がするんです。
もちろん失ってから気づく素晴らしさというのもたくさんあります。毎日毎日彼女のことを思い出してもしも付き合っていたら、なんて妄想もします。その度に以前は気づかなかった彼女の良さとか自分との相性の良さとかに気づきます。つくづく素晴らしかったと思います。
でも、
本当にそう思うならこんなに悩まないはずです。
悩むということはそうじゃないんです。
どこかでビビってるんです。
また傷つけてしまうと。
とここまで書いていると他のモヤモヤの原因なんて考えられなくなりました。
とにかく自分がどうしたいのかが自分自身でわからない限り、また同じことを繰り返してしまう気がします。
他者を巻き込む今回の件は特に注意しないといけない。
ありがとうごさいました。
社内ニート卒 / 話すコツ
前回の更新からほぼ一週間。いろんなことがあった。
まず教育係が外れた。
前回の書き置きが置かれた次の営業日に
上司が話を聞いてくれて外してくれることになった。外して欲しいと言ったわけではなくて向こうが話を振ってきたので書き置きの愚痴を言ったら
「それはほんまあかんな」と言って変えてくれた。でもおかげでずいぶん楽になった。
さらに、自分の仕事が決まった。
部署横断で取り組んでいる事業の初めての専任の営業として使われることになった。これは専務の方に事前に何もないまま営業会議の中で発表されて、今まで放任してたくせに好き勝手なもんやなと思ったけど、仕事がもらえるとわかっただけ嬉しかった。
とにかく、晴れて社内ニート卒業できました。
パチパチ。
良かった良かった。
そして明日は初めての出張同行。
何か急に物事が進み出して、少し戸惑ってる。
だって今までフルタイムでネットサーフィン、ブログの更新までしてるのに注意の一つもされない放任やったから。
それが急にやることが決まって、機会も与えられてきて。
普通ならびっくりするよな。
でもここでのんびりしてたらだめ。
ちゃんと付いて行こう。
上手くやろうと思わない。
真面目にやればいい。
頭を働かせればいい。
誠実であればいい。
そしたら上手く行く。
とりあえず仕事覚えるだけ。
やることは決まった。
仕事を覚えるために必要なことも覚えていく。
運転の道を覚える、
お客さんとの距離感を覚える、
新しく付いてくれる教育係との距離感も覚える。
覚えるというか、気を張らないようにしていく。
自分がコミュニーケーションで欠損しているのは、
「自信」。
自信がなければ意見の一つも言えない。
意見が言えないと肯定しかできない。
肯定ばかりだと相手は自分に対して距離を感じてしまう。
人は何もかも肯定されるはずがないことをわかっているから。
だから肯定する前に一呼吸おく。
そして話しかけられたとき、
例えそれがどんな内容であっても、
相手を否定したり興味がないそぶりを見せてはいけない。
わざわざ相手だってお互いが興味のない話をしたいわけじゃない。互いが何に興味があるのかとかどんな考え方をするのかとかわからないなりに、とりあえず探りを入れてるだけなんや。
だから、何も気合いしなくていい。
自分が自分に自信がなくて、その癖威勢は良くておまけに女の子に奔放だなんて相手はそこまで何も気にしないんや。それが評価に繋がるわけじゃない。ただ向こうは自分を知るためにコミュニーケーションを取ろうしてるだけ。そして自分はそれに応えるだけいい。特に変なことは考えなくていい。虚勢を張らなくていい。上手くやろうとしなくていい。そうやって無理するからどんどんじぶんがわからなくなっていくんや。
自分に自信を持てばいい。
まあ欲を言えば、
会話が終わらないように意識してゆっくり言葉にしていけるようになればいい。
その時、できるだけ焦らなくて
穏やかにゆっくりと話せればいい。
よし。
頑張ろ
教育係
明日も早いし早く寝たいけど
モヤモヤするから文章にしとく。
教育係がどうも嫌いなんやけど、
嫌いな理由が自分でわかってないからどう動けばいいかわからん。
5月から同行がスタートして、最初の方はほぼ毎日連れて行ってもらってた。
一か月くらいしてから同行回数も少なくなってきて、
同行先ではあまりしゃべらないようになってきた。
んで自分からお願いしない限り連れて行ってもらえなく、断られることも多くなってきたので声掛けをやめてみると、
一切向こうからアクションを起こさなくなった。
さすがに腹が立った自分は上司に相談したけど
とりあえず声を掛けてみると言われた。
でも教育係は社内でも変わり者らしく怒るという選択肢はないようやった。
また「一年は遊びやと思って」とも言われた( )
しかしそこから教育係に変化があったかといわれると何もない。
一、二回連れて行ってもらうこともあったけど移動中は無言。
話しかけると相手にしてない様子。(目を合わせない、最低限の返答しかしないなど)
ざこい。
むかつく。
いろんな感情が出てきた。
そして先週、自分の放置さをさすがに問題に思ったのか、
別の上司に呼び出されて5分くらいの面談をした。
今までの状況に対しての謝罪と
教育係に再度教育指導をするようにいったといった旨だった。
それと、それにともなっておれからも教育係に声をかけるようにとお願いされた。
そしてその日のうちに自分が席を外している隙に
デスクに書置きが置かれていた。
内容は明日いく営業先の場所と集合場所など
同行についての内容だった。
でも、〇〇へと自分の名前がついて宛名には敬称がなく(今までは一応~くんだった)
しかも字はすごい殴り書き、工場への同行で防護品の指定が多すぎて社内の補完場所も知らなけらば(置いてあるかも怪しい)聞いたこともない名前のモノが書かれていた。放置され続けた新人にわかるはずのない内容だった。
道中コミュニケーションをとるのが面倒なんだろうか、電車で2時間もかかる駅に現地集合だった。
正直、すごく悲しかった。
自分は人に嫌われるくらいなら自己犠牲を選んでしまうような、とにかく周りに合わせるタイプの性格で、それは自分なり処世術だと、得意分野だと自負していた。
でも、どうも自分はこの教育係に嫌われているのかもしれない。
正直文章だけだからわからない部分は大きい。けどよく思われていないように感じてしまう。
嫌われるようなことした覚えはない。むしろ仲良くなろうとして精いっぱい気立てのいい後輩でいようと努力したつもりだ。仕事を教えてもらう新人の礼儀とさえ思って。
何がだめなのかわからない。放置されて怒りたいのはむしろこっちの方だった。
けど怒りより悲しみのほうが大きかった。
意味が分からなかった。
こんな経験ははじめてだ。
結局その同行は予定の都合上なくなったんやけど
明後日からの予定はまた白紙だ。
嫌われているとわかっている人間と行動を共にするほど
ストレスがたまる事はない。
その間、ずっと自分を否定され続けられてる気がして。
割り切るしかないのか。
それともまったく気にしないように努めればいいのか。
どちらもできる気がしない。
同行をお願いしに行くのもしんどい。
これに関してはこっちから下手にでることに腹が立つっていうのもある。
とにかく、つらすぎ。
メンタル弱者にはつらすぎるんや。
めんどくさい。かなしい。つらい、、、、、
16:08
自分が出会い系で優勝するにあたって、その一番の武器は「人柄」だ。
今まで女の子と仲良くなれたとき、評価されているのは
「よくわからん人だが、悪いやつじゃない」
「全然話さないけど人の話はしっかり聴く」
という点だったと思う。
というよりは自分は話はおもしろくないし、頭の回転も遅いから、
その点くらいでしか評価されない。
女の子と仲良くなるうえで「相手の話を聴く」というのは最低条件だ。
自分のトークで相手を楽しませられない限り、その場を有意義なものにするのは
「自分の話を聞いてくれた」という充足感でしかない。
そしてそれは「だまって話を聞いてくれて、適度に相槌を打って、そして最後まで興味をもってくれてる人=いい人」という等式が成り立つ。
いい印象は人柄に直結するのだ。
恋愛ではそれで問題ない。むしろ人の話を聞くだけで自分の人柄を示せるのは一石二鳥な気がする。
しかし、優勝目的の出会い系で「人柄」で勝利することは同時に敗北を意味する。
人柄というのは相手の主観だ。そしてその主観が良いいほど、
「自分にとって都合の良さ」と直結してしまう。
そうなると、自分の思い通りにならないときに不快な思いをする。傷つきもする。
だから出会い系で優勝できても、人柄が尾を引いてあとくされが続く。
「いい人」であるゆえに裏切られたときにダメージは大きいのだ。
その場限りの関係を狙う出会い系優勝パターンでは
人柄で勝っても楽しいのはそのときだけで、
後処理がめんどくさくなるだけなのだ。
でも出会い系で優勝したい。
相席屋でもいい。
というか優勝なんて正直夢の話やから
まずは女の子と話せればそれでいい。
そのためには人柄で勝つんじゃなくて
トークで勝たなければいけないんじゃ。
いけないんじゃ~~。
トーク力なさ過ぎてつらいんやけども。
まあトークじゃなくても、
とりあえず「話を聞く」以外で相手に何かを与えられるスキルが欲しい。
その場を有意義にしたい。
価値のある人間だと思わせたい。
興味をもってもらいたい。
とりあえずは普通に自分から話ができるようにならないといけない
道は遠い。
この投稿で今日の一日で二項書くことになるな。
会社暇すぎて、もはや警戒心もなくなって会社のパソコンで更新してる。
情報システム担当にばれたらめっちゃ恥ずかしいやろな。
まあどうでもいいや。
ありがとうございました。
シャラリーマン
人生の半分以上があてがわれる「仕事」というものを
外部的な要因に依存させていることがあほなこと。
したくないことをだましだまししてお金をもらって生きていく。
言葉にするだけでずるさが出てる。
人はそうやって我慢を繰り返して生きている。それで社会が成り立っているのだから、生きるためには仕方のないことである。
それは仕組みみたいなもので、反抗するなら替わりの仕組みを用意しなけらばいけない。そんなことはできない。
よりよく生きるには、その仕組みの中でうまくやらないといけない。
でも、みんながみんないやいや仕事しているわけじゃない。
仕組みはみんなが不幸になるものじゃない。
他人のしたいことに従って自己実現を叶えている人がいるのも事実だ。というか大勢いる。
全く違う背景をもった、違う価値観の人間が「仕事」という共通項の中でしのぎあってる。サラリーマン。
互いが他者的要因に依存しながらなんとかやっている。機嫌がよくなくても我慢して、むかつく人間にもいちいちむかつかない。それがサラリーマンなんだ。
みんなが上手くやれるために上手くやってる。それが仕組みの中で生きるルール。
だから、それができないひとはどんどん仕組みの端にやられる。それだけ取り分も少なくなる。それが嫌ならサラリーマン的に上手くやるしかないんだ。
ださいからシャラリーマンって呼ぶ。
いいきかるためのブログでした。
Date with Ikea
今日、いつも通りパソコンの前でブログサーフィンみたいなことしてると、社長が「暇そうにしてるな」と雑談しに来た。
「誰のせいでこうなってんねん」と言いそうになったが、そこで反抗しても意味はなかった。
オーナー社長で、先代社長が死んで他社からなし崩し的に連れてこられた現社長だから、現場への権限なんてほとんどないに等しい。社長に言えても文句だけだし、変なこと言って今更上司たちに変な計らいをされた方が困る。
腹が立つからお前らには何一つ貢献したくない。お金だけ貰ったらさっさと辞める。と思いながら話を聞き始めた。
それから社長はうちの営業の教育の不器用さとそれがどうにも仕方ないみたいな話をした。なんだか一応同情はしてくれてるようだった。
そして話の流れで明日ご飯行くことになった。最初はキャバクラと言われたけど、ああいうのは自発的に、気の合う人と行かないとタチの悪い社交場にしかならないと思ったから逃れるために「海鮮が食べたい」と言っといた。とりあえずはキャバクラは無くなったけど新人をキャバクラに連れて行くのは年長者の義務みたいに思ってるらしくていつか行くハメになりそうだった。
まあ何を言いたいかというと、
正直いって今、社長とご飯になんてめちゃめちゃ行きたくない。冷静になればなるほど行きたくない。
どうやら自分はもう、申し訳なさを感じつつあるらしい。
これ以上いるきのない会社に(お金のために)居続けるのに罪悪感を感じ始めてるらしい。
「教育しない会社も悪いんやから、もらえるものだけ貰っとくべき」
「自分のキャリアに責任を持てるのは会社じゃなくて自分」
「困ったときあいつらがどうかしてくれるわけじゃないから(お金を貰うことは)一方的に悪いことじゃない」
いろいろ考える。どれも正論だと思う。
むしろ、こんな罪悪感にいちいち惑わされてたらそれこそ自分は変われないのではないかとも思う。
変革に犠牲はつきものなのだ。
村上春樹的にいうと「何かを得るためにはかわりに何かを失わなければいけない」ってやつだ。
だけどどうも、つらい。ご飯に連れてってもらうなんて、社長からしたらなんて事ないのだろうけど、そこに少しでも自分への好意を感じてしまって、申し訳なくていたたまれない。
Apple Musicで前々から気になってた
Pavement 聴いてみた。
なかなか好みだった。
オルタナの不穏さの中に癖になるような歌メロ。軽快だけどどこか気だるい歌声。
中でも一曲がめちゃめちゃ良かった。
言葉にできない高揚感があった。曲名が「Date with lkea」だったのも最高だった。
これ以上にないくらい馴染んでたし、見た瞬間一気に情景が浮かんだ。
何回も聴きたい。
ありがとうございました。