Death or Die

フリーターへジョブチェンジした一般男性のブログ

承認の到達度と人の考え方

 

 

 

承認を得られるとこんなにも頭が働いてくるのかと思う。

 

 

 

GWも終盤、遊びにご飯に駆け回った五日間だった。

 

 

おもしろいことは、

 

GWを満足のまま終わって「さてこれからどうしようかな」と将来について考えたとき、

 

 

憂鬱に思うことがほとんどないということである。

 

 

 

どうしてなんやろうと考えるも答えは明白、

 

 

「このままの調子でやれば自分は大丈夫だ」

 

 

という経験に基づいた事実が、自分の頭に住み着いているのである。

 

 

 

 

自分に自信がないとき、

 

 

「今の自分ではだめだ」という先入観を持ってしまう。

 

 

そうすると判断が遅くなり、おどおどしている様は第三者からみても気持ちよくない。

 

 

 

 

さらには少しの失敗も許せなくなる。

 

 

失敗に対して、

 

「焦ってしまったから」

 

「準備不足だったから」と

 

失敗の原因が自分の中にあると思い込んでしまう。

 

こうなると、気持ちが焦り、さらなる失敗を生んでしまう。

 

 

だから、自分が受け入れられるという経験は

 

判断に迷いを無くし、

 

ある程度の失敗を許容できる精神をもたらし、

 

前に進むための考え方を授けてくれるのである。

 

 

 

 

という所まで書いたところで、今日書こうとしたテーマを忘れてしまった。

 

 

 

自分の考えを言葉にするのは難しく、

 

言葉を選んでいるのに必死になって、

結局なにが言いたかったのかを忘れてしまう。

 

 

 

最初にメモにとっといた方がいいのかもしれない。

 

 

 

今日はこれでおわり

 

 

 

 

と思ったけど思い出した。

 

 

なぜ自分は女性の生み出すモノが好きなのか

 

 

というテーマについて書こうとしていたのだった。

 

 

自分は生き方を売りにしている、といったら言葉が悪いが、

 

それが少なからずその人を評価するうえでの大きな基準となっている、女性の文化人の方々が好きだ。

つまり、自分に誠実であり、それを評価どうこうではなく、表に出していると感じる人が好きなのである。

 

例として

水原希子渡辺直美山本美月二階堂ふみ 

 

小説家では柴崎友香山崎ナオコーラ

 

音楽家では、柴田聡子、テンテンコとか?

(もっといい例えのひとがいるはずやけど出てこない)

 

 

 

 

なぜ女性なのか?

単純に女が好きなだけではないのかともおもったけど違う。

 

 

女性はその歴史的に扱いとして不遇だと思われる部分が多くあり、

 

現在その生き方は人々の関心の渦中にあると思う。

 

それゆえ、大衆の目にさらされる文芸、芸能、音楽などのあらゆる文化の中で

 

その「生き方」自体がひとつ物語として成り立てるのである。

 

 

という仮説。

 

 

そして自分の持つ性格として

そういった、自分を強く持ち、自信をもって発信し続けている女性たちに強くあこがれているのである。

 

 

それは男性の作り出すモノからは感じ取れない。もしくは、文化的側面での男性の発表物はそれを売り文句としてアピールしていないのであろう。

 

男が自分の性格や過去、生き方について臆面もなくグチグチいうのは格好が悪いという風潮があるのである。

 

 

だから、自分は女性の表す自己意識を色濃く残したモノが好きだ。

 

これは自分が女性的な考え方をしているからなのか、という疑問は残るが、たぶんそうだし今は詳しくわからないからここでは書かない。

 

 

 

とりあえず、明日GW最終日、ゆっくり過ごします。

 

 

明後日から本格的に仕事が始まります。

 

何をするのか不安だけど、たぶん営業同行か電話対応についての研修を進めてくれるのかもしれない。というか進めてほしい。

 

 

 

また!