Death or Die

フリーターへジョブチェンジした一般男性のブログ

久しぶり(雑記)

10/29

「体験記を語れない」のは体験をしてないから。

厳密にいえば、そこに主体性がなかった。

自分の言葉はなかった。自分の軸はなかった。

面接では相手の言ってほしいことを言葉にしていた。

志望動機は自分発信のものではなく、受ける会社に合わせて作っていた。

でもそれが当たり前だと思っていた。

だってみんながそうしてるから。

自分もそうするだけ。

そのために必要な努力はする。やらないといけないことをやる。文句はないでしょ?みたいな。

 

 

 

 

隣の席のおっさんが閲覧室にも関わらずおかし食べてる。

これがお姉さんなら、気になっていただろうか。たぶん、「そういうこともあるよね」

って思ってたよな。

おっさんだからいや。というか、その振る舞いの先におっさんの「人格」が見えるのが

いやだ。

そんな非常識は、知らないところで世の中に許容してもらっているはずなのに、

何も気にせずに生きている。

きっと部下にも奥さんにも子供にも、同じような態度をとっているのだろうな。

そう、そういうところまで垣間見えるから、とても腹が立つ。

別に、もう会うことはないのに、気にしなければいいのに。

そう、気にしなければいい。気になるのは、自分と比べてしまうから。

おっさんと違って、周りに配慮して、敬う心もないのに他人を敬って、神経を使ってい

る自分が無視されている気がするから。

それだけ抑圧的に生きているから。

自分がないがしろにされている気がするから。他社から。社会から。

でもアドラーも、加藤諦三も言ってた。

 

「勝手に我慢して、勝手に騒いでいる」

 

閲覧室でおかしを食べたいなら食べればいい。

それで迷惑をかけたのなら、不快に思われたら、軽蔑されたらいい。なんなら叱られたらいい。

警備員さんに挨拶したくないのなら、しなければいい。

いやなら、しなければいい。

 

しない選択肢を取り続ければいい。
そうしたら、自然と道は見えてくる。
というか、おっさんに腹が立たなくなる道に行ける。