瞑想マン
日記
瞑想を始めた。
自分をおかしいとは思ってなかった。
実際おかしくないのかもしれないけど、
少しでも「なんかおかしいな」と感じたら
それはもうおかしい、みたいなことを聞いた事があった。だから改めて、ゆっくり自分を省みようと思った。
瞑想は呼吸を意識する。
空気の流れ、筋肉の動きや心臓から送られる血の巡りなど、呼吸を意識することで、普段感じられない身体の感覚を見つけることができる。
ただこれが簡単にはできない。
意識はすぐどこかに飛ぶ。一つの場所に留まらない。呼吸に集中しようとすると、逆に意識が散りやすくなる。
というか、集中することで常に意識が散らばっていることに気づかされる。
あと意識の散りには「焦り」とか「謎の罪悪感」が多かった。
集中できてないことへの焦りはもちろんだけど、
「ジムに行けない自分」
「将来のこと考えてない自分」
「家具と服探すつもりやったのに、
何もしてない自分」
みたいな、大小さまざまな、謎の罪悪感。
基本自分はできてないことをスポットして、
常にへこんでいるみたいだった。
でもこれは思考のクセみたいなもので、
忙しい時にやるようなタスク管理、リマインドのような思考術みたいなものではない。
クセなのだ。
クセで勝手に焦って、勝手にへこんでいた。
無意識のうちのこういうクセをを持っていた。
他にも気づいたことがある。
自分は常にいろんなことを考えている。
こう書くと当然のように思えるが、問題なのが考えてることが今の動作に結びついていない。
たとえば今文書を書いているが、
「書き終わったらウーバーイーツしな」
「ご飯食べてからじゃないとすぐバテるな」
「早く書き終わりたいな」
「嫌、書き終わるんじゃなくて、書き残すという意識で、、、義務感は日記をダメにするぞ」
「そもそもこんなシビアな時間に日記なんて書くからあかんねん。」
「計画持ってやれば良かったのに。
無理矢理書き始めるから」
「でも、思った時に書くのが、本来の日記のあるべき姿で、自分の本音も出やすい、、」
「流してることバンド、リフが完全にフュージョンのそれやな」
「お腹減ってきた」
みたいなことを連続して考えてる。
これ結局、主題になってる「日記を書く必要性」についには結論出せてない。
そもそも書き始めた今気にすることでもない。
日記の内容に結びついていない。
これがずっと瞑想の時に起きている。
でもこれも瞑想しなければ気づかなかった。
いま目の前にある物事とは関係のない思考をし続けるのも無意識のうちにしていた。
まだ始めたばかりなので、
どんどんやって自分の「おかしさ」の原因に気づければと思う。